愛唱歌集

ささやかな「前書き」
ここでは項目やアーチスト名に「副題」がついています。また順序も全くの不作為ではありません。
しかし、それは私個人の内部だけの範囲のものであると、ご理解を賜りたいと思います。
そして、ここに書き連ねた歌たち、またそれらを私の耳元にまで届けて下さった多くの人々に感謝を込めて。。。、

(敬称略 _._ )

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一覧表

小椋佳 ~尊敬と共感~

心の襞 白い一日 俺たちの旅
いつの日か旅する者よ 思い込み 身辺抄
海辺の恋 小さな街のプラタナス 砂漠の少年
スタンドスティル 屋根のない車 飛べない蝙蝠
盆がえり ひたすらに モク拾いは海へ
便り届くなら お伽噺を あなたが美しいのは
夏ひとかけら なんということもなく 祭り創り
キシュラック・ヤイラック 誰でもいいから 坂道
未熟の晩鐘 遠い夜景に 君はそれ以上
歓びから振り向けば 朝焼けのサガポー 歓送の歌
13月のアテネ 美しい暮らし 流されはしなかった
一つの同じドア 岩漿 山河

さだまさし ~古典世界と祈り~

まほろば 飛梅 修二会
案山子 つゆのあとさき 胡桃の日
檸檬 交響楽 Birthday
長崎小夜曲 桜散る 桐の花
フレディもしくは三教街 天然色の化石 風に立つライオン
秋桜 桃花源 ソフィアの鐘

加藤登紀子 ~紅い疾風~

この空を飛べたら 難破船 愛はあなたの胸に
知床旅情 Love Love Love 灰色の季節
愛のくらし 時には昔の話を 花筐 -Hanagatami-
黒の舟唄
(JOINT LIVE)
ペールラシューズ 雑踏
コンドルは飛んでゆく
(JOINT LIVE)
愛の賛歌 100万本のバラ

ダークダックス ~故郷なる大地~

モスクワ郊外の夕べ すずらん ともしび
トロイカ 黒い瞳 ウラルのぐみの木
ヴォルガの舟歌 行商人 ポーリェシカ・ポーレ
アンジェリータ 銀色の道

抒情歌

白い想い出 ホルディリディア もみの木
上を向いて歩こう 女ひとり 筑波山麓合唱団
ちいさい秋みつけた 一日の終わり
(フランス民謡)
最上川舟唄

イルカ ~パステルカラーの絵本~

なごり雪 雨の物語 あの頃のぼくは
いつか冷たい雨が 月下美人の咲く夜に まあるいいのち
マイスター・ジンガー 夜明けのグッドバイ FOLLOW ME

サイモン&ガーファンクル

スカボローフェア 明日に架ける橋 Sound of Silence

フォークソング

冬が来る前に
(紙ふうせん)
「いちご白書 」をもう一度
(バンバン)
翼を下さい
(赤い鳥)
雨が空から降れば
(小室等)
あの素晴らしい愛をもう一度
(フォーククルセーダーズ)
落陽
(吉田拓郎)
夢の中へ
(井上陽水)
心もよう
(井上陽水)
昴-すばる-
(谷村新司)
カント リーロード
(ジョン・デンバー)
500マイル
(ブラザース・フォー)
Yesterday once more(カーペンターズ)

あれあれ?(^^;

春一番
(キャンディーズ)
心の色
(中村雅俊)
陽かげりの街
(ペドロ&カプリシャス)
ドライ・ボーンズ フニクリ・フリクラ 聖母たちのララバイ
(岩崎宏美)
THE IMPOSSIBLE DREAM 日は昇りまた沈み
(ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」より)
アヴィニヨンの橋の上で
異国の人
(G.ムスタキ)
僕の自由
(G.ムスタキ)
人生哲学
(G・ムスタキ)
追憶 新世界より
(ドボルザーク)
交響曲第9番・合唱付
(ベートーベン)

遠い日の、夏の夕暮れ

グローリア
(フランス民謡)
山のごちそう
(オーストリア民謡)
Yesterday
(ビートルズ)
赤いダリヤ
(加藤登紀子)
ホテル・カリフォルニア
(イーグルス)
太陽がくれた季節
(青い三角定規)
いつか街で会ったなら
(中村雅俊)
チャンピオン
(アリス)
さよなら
(オフコース)

ギターを始めた頃

ふれあい
(中村雅俊)
22才の別れ
(伊勢正三)
なごり雪
青葉城恋唄
(さとう宗幸)
歌詩人
(さとう宗幸)
土湯讃歌
グリーンスリーブス


詳細

・「遠き山に日は落ちて」

原典はドボルザークの「新世界より」。
私は横浜のキリスト教系の小学校を卒業しました。その時の音楽の先生は、お世辞にも教え方はうまくはなかったと思い返しますが、ひとつだけ・・・世界の民族音楽とかフォークとかキャンプで歌うような歌とかをいっぱい教えてくれました。 「遠き山に日は落ちて」も、そのひとつです。聴く度、歌う度に、当時を思い出します。

・「ふれあい」 中村雅俊

当時は小学校高学年。ドラマや時代劇をよく見ていました。高校になったらギターを弾こう!と、この歌で思ったものです。
中村雅俊さんが素朴に歌ってらしたことにとても好感が持てたというのもありましたし、何より「歌詞」がよかった。暖かくて、それでいて無駄な言葉は入っていない、聴いていてそのままわかる、書くならこんな詩が書きたいと、ずっとそう思って早ん十年・・・です。(笑)
作詞は山川啓介さん。「聖母たちのララバイ」を挙げると、だいたいわかってもらえることが多いですね。^^お顔は存じ上げないんですけど。

・「心の襞」 小椋佳

土曜日夜のドラマのエンディングで聴いて「なんて綺麗な声なんだろう・・・」と思ったのが、他ならぬ小椋佳さんです。
が・・・この人の思慮深さや歌作りに対する信念は、表面的な不器用を補って余りある。以降、彼の歌をずっと聴き続けることになりました。

・アルバム「遠ざかる風景」 小椋佳

「心の襞」と同時期に聴き始めたLPアルバム。NHKホールでの初めてのコンサートを、トーク部分をカットしたものです。「俺たちの旅」も「シクラメンのかほり」も「少しは私に愛を下さい」も、すでにここに入っており、「この歌もこの人の?」と驚かされたものですが、言いようのない孤独感も感じていて、当時の私は「元気な時」しか聴けませんでした。

・アルバム「青葉城恋唄」 さとう宗幸

「ふれあい」から数年後、高校生になったのでとうとうギターを買ってもらったものの、なかなかとっかかりが掴めなかったのですが、この歌でドレミを覚えて、数ヶ月後にはこのアルバムのほぼ一通りを弾けるようになっていましたし、風邪を引いたときの「聴く風邪薬」でもありました。
内容的には、当時全国のユースホステルで歌われていた歌たちのベスト盤のようなものですから、悪かろうはずもなく・・・です。

・アルバム「山の賛歌」 ダークダックス

これも同じ系統になります。ただ、吉田拓郎さんの「落陽」をダークのコーラスで覚えてしまったのは、おそらく私くらいなものでしょうね。再販を望みますが、残念なことに「すずらん」が入っていません。

・アルバム「ロシア民謡集」 ダークダックス

その名の通り、ロシア民謡集です。「モスクワ郊外の夕べ」と「ヴォルガの舟唄」がロシア語で歌われていて、歌詞カード見て「何この字?」と思ったのが、ロシア語との出会いです。

・アルバム「加藤登紀子・長谷川きよしライブ」

お登紀さんは ロシア民謡が流れる中で育って、シャンソン歌手としてデビューした人です。でも世界中どこの歌も似合うのです。
このアルバムでは、中南米の歌がたくさんあります。「コンドルは飛んでいく」は、サイモン&ガーファンクルの英語詞より良いのではないかと思うほどです。

・アルバム「歌詩人」 さとう宗幸

上記「ふれあい」の作詞家・山川啓介さんと組んで全曲作られたアルバム。このアルバムがあればこそ私は二十年間も宗さんのなかにシンガーとしての理想像を待ち続けてきたといっても過言ではありません。数年後「ザ・クラシカル・コンサート・ライブ」で、一定期間は実現していたらしいものの・・・。
正直に言うと、今の私には、彼の心の在りようが分かりません。昔は「わからないことがわからなかった」だけなのかもしれないのですが。本来であれば、もっと普通に全国ツアーやって、あちらこちらと引っ張られて・・・といったことがあってもいい立場になっていて欲しかったんですがねぇ。。。
もっとも強く再版を希望してやまない一枚です。

・「まほろば」 さだまさし

私にとって、さださんにしか出せない世界は3つ。長崎っ子として平和や生命そのものへの祈り、クラシック音楽の土壌、古典文学の世界です。「まほろば」は言うまでもなく古典に入ります。さださんは当時或る「和歌」がひっかかってこの歌を一晩で書き上げたといいますが、そういうときも良いものができることは私にも理解できるところです。
といいつつ、最近、自分は果たして”さだファン”なのだろうかと迷うことがあります。チケットを申し込んでおきながら何処かで落選を願っていたり、今度出るアルバムの試聴をしてみても「やっぱりしっくりこないなぁ・・・」とか思っちゃったりするのです。テレビも録画しておいて見ないことがしょっちゅう。
さださんは最近どうも、みんなのこと考えすぎなんじゃないだろうか。
「まほろば」の頃は、個人的な文学性を極める、みたいなところがあって、私はそれが好きだったのかもしれません。自己完結性の強い小椋佳さんと比べて、社会性も持ち味としているさださんですが、最近はエンターテインメントのなかに文学が埋もれている感じがしてならないのです。

・アルバム「テオリア」 小椋佳

たしかこのときから「レコード」が「CD」になりましたね。
哲学の聖地・ギリシャに旅行して創られたアルバムで、「あ、小椋さんは人生とは何かについて考えてたんだ」と思ったら、まるで霧が晴れたが如く(ほんとか?)それまでの小椋さんの歌の見え方ががらっと変わってしまったんです。
人生の意味や目的や感じ方は、人それぞれでみんな違う、違って当たり前だし、そもそもそんなこと考えることを知らないまま生きている人だっているのです。それを言葉にして伝えること、ましてや共感を得られるように言葉を綴ることは、すべての文学者が悩み苦しんできた問題なのですから。
小椋さんを私はこう呼びます・・・歌う作詞家または歌う哲学者、と。

・「昴-すばる-」 谷村新司

谷村さんはたびたび引っ越していて、その引っ越し中に歌詞が浮かんできてダンボールに書きまくったそうです。(笑) 普段からいろいろ考えているからこそ、そういうことが起きるのでしょうね。
谷村さんがテレビでお話をされてたんですが、一時期、体調を崩して音楽活動完全停止されていたのだそうです。やっぱり人間て、一生懸命生きてると、50か60くらいで何か来るものらしいですねぇ。
そのあいだ、知りたいことが山ほど出てきて本屋さんに通い詰めたり、中国から大学教授のお話がきたり・・・。
そいで、谷村さんも”すっぽぬけた”かな~・・・なんて思うのでした。
この”すっぽぬけた”というのは、私には他の言葉にはできない、感覚的なものなんですが、どちらかといえば好ましい形容詞と受け取っていただいてかまいません。絵にたとえるなら、深い森をずっと彷徨ってきて、あるときポンと陽の当たる道に出る、そんなイメージですかねぇ。
何かを突きつめ、悩み、苦しみ抜いた人たちは強い・・・私にはそう見えます。また、専攻分野によって、雰囲気まで違うようでもあります。

・「山河」 小椋佳

もともとは五木ひろしさんが芸能生活何十数年記念として作られたそうですが、むしろ作者である小椋佳さんのコンサートで重く用いられるようになり、今日に至っています。
「幸福」を、人間が持つ「様々な欲求」が満たされたときを言うとすると、「直接生命存続に関わらない、人間にしかない欲求」は「美への欲求」なのではないか・・・そういう思いの下に作られたのだそうです。

  愛する人の瞳に 愛する人の瞳に
  俺の山河は 美しいかと 美しいかと

 さらに言うなら、歌の主人公は愛する人の眼を通して自分を見ていることになるのかもしれませんが。

(自己愛から郷土愛、さらに愛国心へ・・・極端な自己愛の拡大への警告にも聞こえてしまうのは、私だけかもしれません。)

・「なごり雪」 イルカ(かぐや姫)

イルカさんが「かぐや姫」から譲られた曲。私のそれほどでもないであろう音感でも、引っかかってきます。
いつか少しでも体が治せたなら、一番先に弾いて歌いたい歌の一つです。

  君が去ったホームに残り 落ちては溶ける雪を見ていた
  今 春が来て 君は綺麗になった
  去年よりずっと 綺麗になった

日本人の感覚として、消えゆくものへの愛おしみとか美学とかいったものがあります。
韓国語ではこのタイトルは直訳で「春の雪」となった由。・・・う~ん、何か違うんだよなぁ・・・と思うのは、きっと「名残」という感覚ゆえなのでしょう。

華道では、枯れた花を生けないそうです。でも禅宗では花が蕾の時も盛りの時も散る時もすべてをありのままとして等しく観る・・・らしいです。もしかしたら、その狭間で彷徨い続けるのも人のサガなのかもしれませんね。

・「22歳の別れ」 伊勢正三

ギターで「スリー・フィンガー奏法」を覚えた歌です。特にオープニングで Em から Em7 にいくあたり、気持ちいいですねぇ。

・「チャンピオン」 アリス

ボクシングなんておよそ見ない私ですが、頂点に立ち続けた男の悲哀・・・は 感じるところがあります。

・「檸檬」 さだまさし

この歌には沢山の「色」が出てきます。東京・御茶ノ水駅付近では、中央線快速のオレンジ色と総武線各駅停車のレモン色が擦れ違い、木々の緑の道を行けば、真っ白い階段の上に湯島聖堂の黒い空間に辿り着く。そばにはニコライ堂のステンドグラス・・・さださんがこの歌を作ったときにニコライ堂まで思い浮かばれていたかどうかは分かりませんが、とにかく色彩豊かな歌です。
「盗んだ檸檬を囓って放り投げる」という青春の屈折感も非常に文学的です。

・「この空を飛べたら」 加藤登紀子

作詞・作曲は中島みゆきさん。みゆきさんがまだ有名でなかった頃、お登紀さん自ら曲を依頼された由。

  ああ 人はむかしむかし 鳥だったのかもしれないね
  こんなにも こんなにも 空が恋しい

届かない思い、夢、憧れを抱くことはとても切ないことです。それでも、そんなにしていられたら、それはとても幸せなことなのです。

・「百万本のバラ」 加藤登紀子

NHK教育テレビ「ロシア語講座」で学んでいた当時、「今月の歌コーナー」というのがあり、

  ミリオンミリオンミリオン アルィフ ロス           百万本百万本百万本の 深紅の薔薇を
  イズアクナー・イズアクナー・イズアクナー ビーズィシ トゥィ 窓から 窓から窓から 君は見てる

なーんて歌ってました。^^ まだお登紀さんが流行らせる前です。
お登紀さんはコンサートで、ご自分はハルピン生まれでユーラシア大陸の東、それがユーラシア大陸の西の端・ラトビアで子守歌として生まれたこの歌と出会ったのは運命だ・・・と仰ってました。
この歌自体が持つ恋物語と、生まれた街には帰れない悲しみが入り交じります。

・「雨の物語」 イルカ

かつて、日曜日の朝に”本の番組”(タイトルは覚えていません)があって、そのエンディング・テーマ曲でした。

  僕の部屋のドアーに 書かれていたはずさ
  とても悲しい 物語だと

  物語の終わりに こんな雨の日
  似合いすぎてる

若い頃は「雨乞いの歌」やら「雪乞いの歌」やらを勝手に決めており、この歌で雨乞いをやっておりました。(笑)
今の歌はメッセージそのままが多いように見受けますが、そこはかとない”物語”を描きつつ、独自の世界を入れ込んで聴く人を惹きつける・・・そのほうが私には心地よいようです。

・流されはしなかった 小椋佳

原曲は Eric Carmen の「 Boats Against The Current 」。 一般的には「雄々しき翼」というタイトルに訳されいるようですが、「流されはしなかった」のほうが近いでしょう。
この歌が小椋さんによって訳されて歌われ出したのは、銀行退職直後の「テオリア」アルバムでした。原詩に添いながら、小椋さんご自身がボート部であったことや、退職当時の 心境も重なって推察されます。

  僕らは 今や挑み終えた河を
  見限ることにしよう 新しい流れ
  信じてみるんだ 自ら生み出す夢を

周りからの引き合いに応えざるを得ないこともあったと思います。でも、ギター一本抱えて何処かの体育館へふらっと行けるような器用さなど、この人は持ち合わせていないのです。
そういうところも魅力なんですから、どうかテレビ局の皆さん、宣伝番組などに引っ張らないでいただきたい。
何処までも真っ直ぐに、ひたむきに、孤高の鷹でいてほしい・・・。 それが私の願いです。

・もみの木(ドイツ民謡)

ウィキペディアによると、

ドイツ北部に古来から伝わる民謡にヨハン・アウグスト・ツァルナック(1777年 - 1827年、de)とエルンスト・アンシュッツ(1780年 - 1861年、de)が共同で歌詞を付けたものである。

だそうです。実はドイツ語を覚えたときの”推進歌”なのですが、毎年クリスマスでこの歌が流れてくると、なんか嬉しくて。
ブログの名前をずっと「もみの木」にしているのも、この歌があればこそです。

  O Tannenbaum, o Tannenbaum,
  Wie treu sind deine Blatter!
  Du grunst nicht nur zur Sommerzeit,
  Nein auch im Winter wenn es schneit.
  O Tannenbaum, o Tannenbaum,
  Wie treu sind deine Blatter!

・風に立つライオン さだまさし

故・山本直純さんから「30分かかる歌を書け」とも言われていたさださん。20歳頃にこの歌のモデルになったお医者さんから直接聞いた体験談を実際に歌に出来るまで25年かかった・・・とのこと。
良い歌です。この歌に影響を受けて人生を変えた人の数多あるとも聞きますね。

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